問屋はどうか。経済産業省の商業統計表を見るだけでも年々卸の数が減少していることがわかるだろう。ではこれら問屋、アパレルメーカーがSPAへ転換するとしたらどんな条件をクリアしなければならないだろうか。(1)リスクへの挑戦。(2)真に消費者志向(顧客志向)のマーケティングが可能かどうか。(3)ローコスト経営のための一気通貫するためのサプライチェーンシステムを確立できるか(垂直統合システム)どうか。(4)企業家精神の旺盛なベストプレヤーをトワプにもつことができるか。(5)顧客ニーズを発見し、客に満足させる仕組作りができるか。(6)さらには独自の価格創造ができるか。これらの条件を満すことができるかどうかが問われているのである。
かつて一九七九年ごろまでは、レナウンといえば飛ぶ鳥を落す勢いであった。マスコミは時代を先取りした経営と評した。当時の経営の特色の一つは企画・生産・営業・宣伝を一貫したトータルーマーケテインダ戦略だった。マトリック式組織のもと、ブランド毎にマーチャンダイザーがおり、彼らが全般管理の礎としてマーケティングが展開されていた。当時の経営理念は楽しい経営である。豊かで、楽しい生活づくりという理念のものに総合ファッションを目指し一直線に走り続けてきたのである。社員にヤル気を起させるための動機づけとして一〇〇以上ある課に、部門別損益管理制を導入、自分たちの儲けは自分たちで分けるという方法である。結果はどうか。それらは社員を甘やかす結果となった。ここに大企業病が発生する素地があったのだ。ファッション企業であるなら絶えず消費者の変化に敏感でありそれに対応する機動力が必要であるはずが、いつのまに官僚化していた。市場をリードするのは我々だという「おごり」、いわば、過去の成功体験にしばられ時代の変化に立ち遅れてしまったのである。
単にカジュアルをまとったのではなく、精神的にもカジュアルをまとい、抑圧に抵抗したのだ。そこが、それまでの砕けたスタイルとの大きな相違である。アメリカの代表的カジュアルとして、ディーンが身につけたジーンズと白のTシャツスタイルの時代が長く続き(驚くべきことに、このスタイルは、あれから半世紀近い現在でも続いている)、日本がそれを模倣した理由もそこにある。いや日本のみならず、世界がそれに倣った。当時のアメリカのヒーローたちが、そのまま世界のヒーローの道へとつながった理由は、大戦が終了し、世界が抑圧からの解放、つまりカジュアル性を求めていたこと、さらに戦後のアメリカとソ連というふたつの大国のイメージにも原因があろう。開けっ広げな自由の国と、カーテンを閉じたままの抑圧された国である。勝者であるアメリカの解放された自由は、戦争で疲れ果てた人々に格好な思想だったのだ。