予備校・塾の料金体系は、おおまかに二種類に分かれます。まず、授業に直接かかわる料金。一般的に「授業料」と呼ばれています。「コースでいくら」であったり、「一単科あたりいくら」であったりします。テキストなど教材の料金も、通常はここに含まれます。つぎに、直接授業にはかかわらない料金。「入学金」や「諸経費」などがそれです。さらに、「設備費」、「校納金」などといった名目があることもあります。なお、「入学金」は必要なところと、必要ないところとがあります。「諸経費」は、模擬試験などの費用が含まれているようです(模試代は別料金のばあいもある)。こうした、予備校・塾に通うにあたっての料金体系に関しては、十分に理解して、検討する必要があります。勉強に関する話なので、親は気前よく払ってくれるでしょうが、それらを大切に使いこなせるかどうかは、受験生以前の問題です。「生きる」教育費にするため、高い投資効率を考えて、コース選択や単科選択をする必要があります。
「時間」の概念を学校や塾だけで教えるのは、大変むずかしい。時間の問題には、単に時刻を聞くだけのものや、時刻と時刻の間の時間を問うものなどがある。さらに小学4年生あたりからは、時間の計算も入ってくるようになり、時間のことがわからない子どもにとっては、大変やっかいな項目だ。この時間に関する問題は、今の教科書では小1から出ていて、6年生まで続いている。だいたい時間の概念がわかり、時間にも量があることを知るようになるのは、4年生ぐらいからだ。しかし、この時間の概念に関しては、それを理解する時期が子どもによってまちまちなのも事実である。1年生で時間と時刻の区別ができる児童がいるかと思えば、5年生になってもその違いがわからない子どももいる。では、どうして子どもによってまちまちなのだろうか。私は、子どもが時間の概念を理解するかしないかは、家庭環境である程度決まると思っている。特に母親の接し方が大切だ。小学校にあがる前から規則正しい生活をしている子どもは、時間というものを理解するのが早い。なぜならば、常に時間によってしつけられていると思って間違いないからだ。
『広辞苑』によれば、勉強は「精を出して努める」とか「学問や技術を学ぶこと。さまざまな経験を積んで学ぶこと」などと記されています。ある程度、ちゃんと精を出し、苦労しないといけない面があるのです。精を出したり、苦労したり、努力するというのは一般的には道徳観念と思われていますが、誤解だと思います。というのは、苦労や努力はその背後に何らかの必要性があるはずだからです。必要は必ず利益や便益のフィードバックをともなっています。だからこれは経済観念であり、自己利益につながるものです。場合によっては利己的動機につながります。俗っぽくいえば、得をするわけですから病みつきになっても不思議はありません。この理屈に勉強がすっぽりと当てはまるわけですが、思えば、勉強がもたらしてくれる利益や便益は膨大です。勉強で培った知識が仕事に結びついて、目に見える金銭的利益をもたらしてくれることはめずらしくないのです。特に知識社会といわれる現代はそうです。また、知識や能力が評価されて、多くの人から尊敬されたり畏敬の念をもたれたりして、目に見えない栄誉を与えてくれることも少なくありません。勉強に隠されたこの喜ばしい内容を理解すれば、勉強の苦労は自然に「病みつき」になってもおかしくありません。この場合の快体験は頭にも体にも有益ですから、大いに歓迎すべきものです。